で法事とは疲れる
時代は早くも我々が施主
お付合いも程ほどにして行きたいものだ
流石新宿のど真ん中の親戚の法要
引き出物はあの高い「花園饅頭」とお茶
忙しいので会食を遠慮したら歌舞伎町の「車屋」の弁当だった
明日は我家の法事だが同じ新宿でも場末の我家
女房には任せられず地元の老舗を選んで見たが
満足してもらえるだろうか
時代は早くも我々が施主
お付合いも程ほどにして行きたいものだ
流石新宿のど真ん中の親戚の法要
引き出物はあの高い「花園饅頭」とお茶
忙しいので会食を遠慮したら歌舞伎町の「車屋」の弁当だった
明日は我家の法事だが同じ新宿でも場末の我家
女房には任せられず地元の老舗を選んで見たが
満足してもらえるだろうか
コメント
確かに、自分たちが施主になって、いろいろ、考えさせられることが多くなりました。
数は少なくても、質の良いのに・・・がいいと思うようになりました。
後々まで、記憶に残るものですから・・・。(笑)
「あそこの法事の食事は凄かったね~」「あれはないよね~」
故人を偲ぶ法要の席なのに、人はどうも、【食】に煩いようで・・・。(笑)
そっ!そうなんですよね
「あそこの法事の食事は凄かったね~」「あれはないよね~」って
故人も含め自分も恥をかかないようにと気を張るのが面倒で!(W
家族には寝たきりになったり葬儀で気遣いをさせない様、遺言書の書換えを叉考えさせられました